2015年9月6日主日礼拝
聖書:ルカの福音書1章1節ー4節
説教題「正確な事実であること」
今日からはルカの福音書の講解説教が始まります。みことばに書いてある神様の御心が何か共に学びましょう。
序) ルカの福音書はルカがAD58年ぐらいに書いたものだと考えられています。ルカの福音書と使徒の働きに表れた語彙、文体などの特徴や、同じ人物であるテオピロ殿に送ったことなどを考えると、二つの書の著者が同じ人であると考えられます。この二つの書では医学的な用語と病人に対する特別な関心が現れています。これらのことを総合的に見るとパウロの同労者であり、医者であったルカが書いたと判断できます。ルカはイエス様の弟子の中で唯一の異邦人でありました。そして、ルカの福音書にはいくつかの特徴があります。最初に、ルカの福音書は、イエス·キリストの人性を強調しています。この書は、福音書の中で、イエス様の誕生、幼少時代、成長過程を最も詳細に記録しています。第二に、ルカの福音書には祈りに関する多くの言及と教訓が書かれています。四福音書全体で、イエス様の祈りについて15回出てきますが、その中で11回がルカの福音書に書かれています。また、ルカの福音書11章、18章には、祈りの比喩と教訓が記録されています。第三に、ルカの福音書は賛美と感謝について多く言及しています。第四に、ルカの福音書は、イエス様の情け深い愛を強調しています。それは良いサマリヤ人のたとえ(10章)、放蕩息子のたとえ(15章)などによく現れています。第五に、ルカの福音書は女性や子供への関心が高いです。第六に、ルカの福音書は福音書の中で、最も文学的に美しいです。第七に、ルカの福音書は、世界に対する広い視野が現れています。この書の中で、イエス·キリストは、「部屋を照らす光」と描写されており(2:32)、彼の家系は、アダムにまでさかのぼって行き(3:38)、ユダヤ人たちを追い抜いて良いサマリヤ人が模範として提示されています。(10:25- 37)
Ⅰ すでに確信されている出来事
1節ではルカの福音書が書かれた時代的な風景が記されています。イエス様が復活し、天に昇った後、時間が過ぎて人々の中には自分が目撃したことや聞いたことを伝えるために記録する人々が現れました。しかし、多くの人々が様々な問題を起こしました。彼らは過度な論理に飛躍したり、事件を任意に縮小、拡大したりしました。また、特定の宗派の教義を強調したりして、聖書の内容を歪めたり、新しい記事を偽造記録しました。最終的には彼らの記録は、すべての客観性と正確性が非常に不足した「外典」を生み出したのです。その時代的な風景の中でルカは福音書を書いたのです。ルカは自分一人で書いたのではなく1節を見ると「私たち」という人々と相談しながら書いたことが分かります。「私たち」という人々はイエス様に関する記録について客観的、正確で、歴史的根拠があるイエス様の目撃者たちでした。彼らはキリストと直接出会った証人たちでした。彼らはすでに確信されている出来事について証言しています。それはイエス様がその生涯を通して、神様の御心を成し遂げられた出来ごとであります。それは自分たちが目で見て経験した出来ごとでもあります。ルカは歴史家のようにイエス様の生涯を通して、弟子たちが直接体験して信じるようになった事実を正確な歴史的な根拠と資料にもとづいて記録しているのです。
Ⅱ 伝えたそのとおり
2節での「初めから」ということばは「イエス様の誕生からの記録」という意味ではなく、「イエス様の公の働きからの記録」であるという意味です。イエス様の弟子たちはイエス様の公の働きからすべてのことにおける目撃者でありました。「みことば」ということばは「福音」を意味します。ですから福音に仕える者を意味します。それはイエス様のみことばと行いを通して示された福音であります。しかし、ルカはマタイやヨハネのように、イエス様の全生涯を見たり、ともに働くことができませんでした。ですから、彼は福音書を記録するために正確で色々な情報を集める必要がありました。その人たちは初めからの目撃者であり、みことばに仕える者となった人々でした。彼らは実際にイエス様の教えを聞き、その働きを見た人々でした。彼らはイエス様の12弟子、70人の弟子、イエス様を支えた夫人たち、そしてマリヤとイエス様の家族でした。ルカは福音書の権威のために、初めからの目撃者たちにもみことばに仕える者たちにも、どちらにも偏ることなく、両者を同じように扱っています。ルカは信頼性が認められる人々から得た情報を伝えられたそのとおりに書きました。付け加えたり、抜けたりすることなくそのとおりに書いたのです。また、ルカはまとめて書き上げました。書きたいところだけ記録したのではなく、順番に沿って書いたのです。何かを書き伝える時は伝えられたとおりにするのは難しいことであります。特に神様のことばを伝えるときはさらに難しいことであります。ルカはそれをよく理解して忠実に行いました。既に、多くの人が記事にまとめて書き上げた試みがありました。その中で、ルカは書くことの意味と目的を明確にしています。他の福音書に記されてないことがルカの福音書に記されている理由でもあります。ルカは医者で、良い教育を受け、相当の知識を持った人物です。彼は3節でも福音書の記録の性格を示しています。「すべてのこと」とはすなわちイエス様に関するすべてのこと、イエス様中心に発生したすべてのことを指します。また、初めから綿密に調べたことを順序を立てて書いたと言っています。それはルカが歴史性、正確性、論理的一貫性に従って書いたことを意味します。ルカは誰よりも正確で膨大な知識を持ち、深く研究したことを主張しています。ルカは福音書の信頼性と正当性のために丁寧に説明しています。ルカはすべてのことを初めから綿密に調べたと書いています。ルカは自分が経験した事実と共に色々な資料、そして証人に合って調べました。自分の感情や経験に頼らず、一点の誤差も許されないというルカの意志と志が表れています。誰よりもイエス様と過ごした時間と経験の多い彼でしたが、謙遜に神様の御心に従う姿を見ることができます。ルカは私たちの間ですでに確信されている出来事について、正確な事実を順序を立てて書きましたと言っています。
Ⅲ テオピロ
ルカの福音書と使徒の働きの送り先は、テオピロという人物です。彼に対しては色々な説があります。テオピロという名前の意味は「神の愛を受ける者」、「神の友」です。彼は異邦人の中で救われた人物で、裕福な人であり、ローマの高い地位の人だと考えられています。初代教会の時代は、本を出す必要を満たすためにスポンサーがいて、その本が出たらその人に送りました。ですから、彼はルカのスポンサーになった人物であったと推測できます。ルカの福音書と使徒の働きは個人であるテオピロのために書かれ、送られた書物です。その目的は彼の信仰の成長のためでした。しかし、それが神様の摂理の中で多くの人々が読む聖書になりました。テオピロがこの書物のためにポンサーになったことは彼にとっては小さな献身であったかもしれません。彼が持っている富と地位を使ったできごとです。しかし、神様はそれを大きく用いてくださったのです。
終わりに
ルカはこの書物を書いた目的をテオピロに語っています。それはこれらのできごとが事実であり、それをよくわかってもらうためでした。ルカの福音書を含む聖書は、約40名の人々が約1500年間、それぞれの場所で書いたものです。この40人の住んでいた場所と文化、仕事はそれぞれ違います。しかし、聖書は驚くべき一貫性と統一性を持っています。また、そのメッセージは明確なものです。それは神様の栄光を現すことであり、その中心は福音です。すなわち、イエス・キリストです。聖書は神様が人間を通して語られた書物です。その目的はイエス・キリストの福音が事実であり、それを私たちが知るようになることです。神様は今日も聖書を通して私たちに教えておられます。イエス・キリストの福音は事実であることを。また、それは私たちの生き方として現れる生きた福音の手紙であり、その手紙が愛する人々に送られ、読まれることが私たちへの使命であることを。お祈りします。