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2015年11月1日主日礼拝
聖書:ルカの福音書3章1節ー8節
説教題:「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」

序)私たちは前回の講解説教で、10ヶ月の沈黙から解放されたザカリヤとその妻が常識と慣習に従わずに、神様の御心に従って幼子の名を「彼の名はヨハネ」と付けたことを学びました。また、神様は人間と自ら結ばれた契約を、人間に罪深さと愚かさがあったにもかかわらず、真実に守り、成就してくださったことを学びました。その理由はただ一つ、神様の深い憐れみの誓いであったからでした。さらに、キリストの救いの光に照らされ許された私たちの生涯のすべての日は、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えるために生かされているということも学びました。今日のみことばはルカの福音書3章1節から8節までです。みことばに書かれている神様の御心が何か共に学びたいと思います。

Ⅰ 時の権力者たち

さて、時が流れ皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、
アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下りました。ルカはヨハネが働く時代を紹介す時に、大事な人物の名前を書きました。ポンテオ・ピラトはA.D 26年から36年までユダヤの5代目の総督として勤めました。彼はイエス様の処刑に関与した総督として登場することで有名な人物でした。彼の主な軍隊はカイザリヤの地方に滞在し、エルサレムの神殿の中にも配置されていました。当時の軍隊には約120人の騎兵隊と約3000人の兵士がいました。ピラトは主にカイザリヤの地方に滞在しましたが、「過ぎ越しの祭り」など大切な祭りの時はエルサレムに滞在し、治安維持にあたりました。当時、総督の権限は強力で、死刑を実行する権限と大祭司を任命する力がありました。神殿と神殿のお金も管理して、祭りの時だけの公開や大祭司の服も管理しました。ピラトはヨハネの福音書18章38節で「私は、あの人には罪を認めません。」とイエス様に罪が無いことをイスラエルの民の前で認めました。ヨハネはヨハネの福音書19章12節で「こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。」と記録しました。しかし、彼はマタイの福音書27章24節で「そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。『この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。』」群衆の暴動を恐れてイエス様の死刑を宣告しました。彼がイエス様の死刑を宣告したことはとても重大な事であり、免れられない重大な責任が彼に残りました。また、ヘロデがガリラヤの国主である時代、B.C37年、ヘロデはローマの元老会議で税金上納と治安維持などの約束をし、ユダヤ地方を治める政治的な力を得ようと当時の権力者であったアウグストゥスとマルクス・アントニウスの力を借りて、ユダヤ地域を納める国主となり、B.C4年、彼が死ぬまでユダヤの実際的な統治者になりました。彼は自分の政権維持のためには自分の息子や妻、義母、義兄、おじまで殺すぐらい残酷でした。それにもかかわらず、政治力にとても優れていたので、ローマの力を利用して大祭司の任命と廃位に関与するまで力を得ました。ヘロデの兄弟ピリポはパレスチナの北西部のイツリヤとテラコニテ地方を国主としてBC4年からAD34年まで統治しました。彼は人格的に優れた者で、良い政治をした人物でした。また、ルサニヤはAD25-30年頃アビレネの小領地を管理した国主でありました。大祭司としてはアンナスとカヤパが働く時代でした。アンナスはAD6年に大祭司として任命されましたが、16年に解任されました。しかし、解任された後も影響力があり、ヨハネの福音書18章13節では「そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られてきた役人たちは、イエスを捕らえて縛り、
まずアンナスのところに連れて行った。」と記されています。また、使徒の働き4章8節で「彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、『あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか』と尋問しだした。」と記されているように彼はイエス様とペテロを尋問した人物であります。一方、カヤパは大祭司アンナスの婿で、ローマ政府の任命でAD18年からAD36年まで働いた人物であります。彼はヨハネの福音書11章49節から50節に「しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。『あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。』」と書かれているように、イエス様を殺す計画の発言をしました。また、イエス様を縛って連れ出し、ピラトに引き渡したのも彼で、後には弟子たちをも迫害しました。大祭司は元々終身職でしたが、ローマの政治的な理由で統制されました。しかし、ユダヤ人は大祭司が途中から外部の力でやめるようになっても終身職であると考えました。途中で外部の力でやめることになった大祭司は変わらずに大祭司として認められていたのです。それで、「大祭司たち」と複数で呼ばれるようになりました。ヨハネが働いた時代の権力者と大祭司たちは神様のご計画に従う事より、むしろそれを妨害する働きをしました。

Ⅱ 荒野で叫ぶ者の声

荒野で生活したザカリヤの子ヨハネは神様の御心に従い、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説きました。荒野、すなわち雑木と蝮が多い地域に住んでいたヨハネに神様のみことばが下りました。この事はヨハネの働きの始まりはみことばであり、その終わりもみことばであることを意味します。長い沈黙を破り、神様はヨハネを通して人々に語られたのです。ヨハネは神様のみことばを伝えるために巡回して伝道しました。ヨハネの働きは罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説くことでした。ヨハネが伝えるメッセージの中心は「悔い改め」でした。悔い改めに基づくバプテスマは、悔い改める者は罪が許されるという約束の具体的なしるしでした。なぜならば、このバプテスマはメシヤの十字架の死と復活を予示するからです。彼は裁きが差し迫ることを宣言し、神様が我らを愛しておられるから我らも神様を愛さなければならないと宣言しました。ヨハネの登場と働きはイザヤ書40章3節から5節の預言者イザヤの預言が成就されたことであります。その預言で「荒野で叫ぶ者の声」がヨハネであります。彼の働きは「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。」と預言されています。文字通りの意味では、これは神様の救いの御業によってバビロンの捕虜生活を終え、喜んで母国に帰るイスラエルの民を象徴的に描写した預言でした。バビロンとユダヤの地の間にはシリア砂漠がありました。イスラエルの民はその砂漠を通って母国に帰りました。神様の救いの到来を備えるためには道をまっすぐにする必要があります。「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにする」という意味は偉大な自由と平和の時代を到来させてくださるキリストの道を備えるバプテスマヨハネの出現に関する預言であります。このような観点で見るとヨハネは荒野で叫ぶ者の声であります。神様はヨハネを通して神に逆らう者を義人の心に立ち戻らせました。そうして、整えられた民を主のために用意する働きをヨハネはしました。イザヤはイザヤ書59章1節、2節で「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」と叫びました。主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにするために取り除く必要があるのは罪であります。王の到来の前に王の使者がその道を備えるのと同じような働きがヨハネの働きでした。また、すべての谷はうずめられ、すべての山と丘は低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになるようにする働きでした。昔の王が到来する前には山や丘、曲がった所、でこぼこ道などが困難にならないよう道を平らにすることはよくありました。曲がった所やでこぼこ道のような状態は、人間の罪深い心や高慢、偽り、不義、不信を表しています。それを悔い改め、正しく、純潔、直ぐな心でメシヤを迎えなさいとヨハネは語りました。それで、「あらゆる人が、神の救いを見るようになる」と預言されています。あらゆる人々、すなわち、ユダヤ人だけではなく、全世界のすべての人々に救いの時代が到来する事が預言されました。

Ⅲ まむしのすえたち

ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群集に言いました。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。」と。ヨハネからバプテスマを受けようとして出て来た群集はマタイの福音書3章7節を見るとパリサイ人やサドカイ人であると書かれています。ヨハネは彼らにとても厳しい言葉で叱りました。まむしはサタンを象徴する動物で、悪人やメシヤを敵対する者に使われました。大勢のパリサイ人やサドカイ人が彼からバプテスマを受けようとして出て来ましたが、形式的な律法主義と名誉を求める腐敗した心のままでプテスマを受けようとしたのです。ですから、悔い改める心なしにプテスマを受けても神様の御怒りをのがれることはできないと厳しく叱られました。神様はペテロの手紙第二3章9節で「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」と書かれているように忍耐深くおられる方であり、ひとりでも滅びることを望まない方であられます。しかし、最後まで悔い改めない者には必ず厳しい裁きをされる方であります。ですから、悔い改めにふさわしい実を結ぶ必要があります。木はその木に相応しい実を結びます。悔い改めは罪に対する単純な告白だけではなく、根本的で人格的な変化、すなわち神様の品性に似る者になることです。そのような品性の変化によって実を結ぶようになり神様に栄光を帰すことが出来るのです。続けてヨハネは「『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」と厳しく叱られました。ユダヤ人は単純に自分たちがアブラハムの子孫である事や、律法に従って割礼を受けているから自然に救われると勘違いをしていました。誰にも宗教的な特権や血統、儀式によって救いが保証されることはありません。真のアブラハムの子孫は血統による者ではなく、信仰による者であります。救いはキリストを通して成し遂げられた神様の絶対的な恵みと主権的な権能であります。従って私たちに求められているのは、真実な悔い改めであります。私たちの救いは外的な条件にあるのではなく、真実な悔い改めを通してなされる生き方の変化であり、いつも正しい生き方を決断する事が求められています。

終わりに

ヨハネは皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばに従って働き始めました。ヨハネが働いた時代の時の権力者と大祭司たちは神様のご計画に従わず、むしろ妨害する働きをしました。彼らは神様の御心に従わずに自分の心に従った人物でした。しかし、ヨハネは神様の御心に従って、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説きました。ヨハネは大勢のパリサイ人やサドカイ人がバプテスマを受けようとして出て来ましたが、形式的な律法主義と名誉を求める腐敗した心のままバプテスマを受けようとしたため「まむしのすえたち」と厳しく叱りました。真実な悔い改めのない人はこのように厳しく叱られ裁きを受けます。しかし、真実な悔い改めをする者はガラテヤ人への手紙3章29節の「もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」という約束をいただくのです。お祈りします。